ご多分に漏れずボケの始まりでしょうか? 2016.1.3.
年末に年賀状を作ろうと『筆王』を起動。どうしたわけか一昨年度末のファイルを見つからない。仕方なしに2年前のファイルを開いた。きっと不足があるはずだとわかっていたが、面倒だと不足分は届いてからの仕事にとあきらめた。
年末に届けられた訃報連絡のハガキの主を印刷から外して表書きをし、本文の側は富士ゼロックスのページで数個のひな型を落とし転用。
...
30日くらいに、差出人に「あて所なし」と戻ってきたハガキが想像より少ない。おかしいなとは思った。
元日に送られてきた年賀はがきを調べ、送った人と作らなかった人を振り分けして不足分を印刷し投函。2日目に届けられた年賀はがきの中に含まれている「戻されたハガキ」の数が少々多い。よく見ると私が差出人に書いておいたリターンアドレスの枝番が間違っていたため遠回りしていたことに気が付いた。35-15を25-15と打ち間違えたからである。
そんなことで、もし私のはがきが届いた方が「住所を変わったのか」と書き換えをされたらと怖くなってきた。一方”僕にもボケの始まりが・・”とも思ったのですが、”もしかすると書きなれたものは間違うはずはないと誰しも間違いに気づきにくいものではないか”と自分を慰めています。
もう一度言いますが、今年の年賀状の差出人住所・枝番は間違っています。35番の15号です。
強調します!。私はまだ老人ボケと言い切れるほど進行していません。何卒、何卒、そのおつもりで今年もお付き合いくださいますようお願いします。
和田淳一先生の死・私のいとこの死・Henry君の去勢手術 2016.1.7.
「なんでこんな順に並ぶの?」とお思いの諸兄! これが私の3日間だったのです。2日前になりますが、市原先生から和田淳一先生の訃報連絡を受け、連絡担当のお手伝いを頼まれました。...
和田淳一先生に最後に会ったのは、昨年10月下旬。その次の月から「入院中ですが、お見舞いは結構です」と言われていて、柴田享三先生の訃報連絡を入れたとき「柴田先生は私の高校2年生担任でした」とのメールを受け取っただけでした。(実は10月のみ自宅に戻っておられたことが和田先生の告別式当日にわかったのです)
私は通夜にはいかず、告別式に参列させていただくことにしました。式場の綾部に行く日の朝、私のいとこの訃報連絡が入りました。その電話は、「○○が昨日参らせてもらいました」という連絡のされ方をされましたので、その意味が私に訃報連絡だとすぐに認識できず「私の家の墓にお参りに行っていただいたとき、墓に変わったことが起こっている」という連絡をされているのだと思ってしまったのです。我々の地域は田舎の風習が色濃く残っている地域と薄まっていっている地域がまだらに存在するため、わずかの言葉使いの機微が伝わらなくなってきているのを再発見したのです。日本を大きく区分けした、云わば地域ごとの方言とは全く異なった現象です。親族とのおつきあいがむつかしくなるのは、互いの物理的な距離・心の距離だけでなく、忘れてしまった語尾や表現方法にも由来するのではと気づきました。
昨日の和田先生の告別式の噺に戻します。式場に入ると、記帳場所で折り紙が置かれていて、ここに故人へのメッセージを書いて各自棺に入れるのだと聞き、連絡を差し上げた先生の中で体調不良で行くことができない先生の思いを含めて目いっぱい文章を書きました。
皆さん、「月の砂漠」という曲をご存知ですか。当然皆さんご存知ですよね。歌詞を最後までご存知ですか。私は1番しかはっきりとは知りませんでした。故人が好きだったという歌というので、お葬式の最後は式場に在席したみんなでこの曲を歌って終わりました。感動的な告別式でした。本日は、いとこの告別式とHenry君の去勢手術です。犬を病院に連れて行ってしばらくして告別式に出て、術後のお迎えに向かうというあわただしい一日でした。犬は病院を訪れた私の足音にじゃれ声をあげています。痛み止めをいただいて帰ってきましたが、少しの食事をした後ゆっくり休んでいます。12日の途中通院、19日の抜糸まで気がかりな日が続きます。
犬の去勢手術で、「もしかしたら」と思うこと 2016.1.16.
1月7日に柴の愛犬Henry君の去勢手術をしたことは投稿した。7日の帰宅後はほんの少しだけ肉の缶詰を食べてぐったりしていた。患部が気になって仕方がないらしく、さかんに舐めまわして眠りにもつけないようである。
食事の様子から2日目・3日目・4日目・・と徐々に回復の兆しがみられる。散歩については、2日目は20m進んでは患部を舐め舐めするし、あまり積極的に散歩したいという気分にならないようである。その後患部を舐め舐めする行動は、50mごと100mごとと長くいなって行くし、食事がとれているためか排泄については徐々に回数が増えていくのがわかる。
よくなってきたかなと実感できた7日目あたりに、割とたくさんの食事をとったことがあった。ところが2時間後、立ったまま眠そうに体を揺らす夜があった。外に出してほしがるので庭に離すとやや時間を経過した時分、吐き出してしまった。この時は僕が食事をとらせたときに食あたりさせてしまったのかと思った。9日目にも思いのほか食事が進んだのだが、散歩帰りの2時間後に吐き出してしまった。食事は...肉缶少々と去勢犬用のドッグフード食である。
ここから私の推量であるが・・・・
Henry君は<豆柴>で売られていたようであった。インターネット上で小型の柴犬のことを<豆柴>と称していて、<豆柴>という犬種は存在しないと書かれていたことも知っている。
ということは、もしかすると<豆柴>で売るためにブリーダーが子犬の時分から食事制限をして育てていて、犬の胃袋自体が大きくなることがなかったんではないだろうか。この仮説が正しいとすると、『体調が改善して食欲が出てきても一度の食事が多すぎると吐き出してしまう』というのであれば、実に切ない話である。
2000年頃だったと思う。立命館大学理工学部数学科の三木良一先生の退官記念行事の企画を頼まれたことがあった。私はこの時すでにJPドメインを持っていたにもかかわらず、実はホームぺージ作りをしたことがなかった。
学生時代に数学研究会というサークルに所属もしていないのに、先生の退官記念最終講義&懇親会をこのOB名簿を頼りに案内文を作りそこそこの手ごたえが得られそうになってきた。そこで、輪を広げるためにもと自分のJPドメインのホームぺージをこの企画の案内にするためホームぺージ作りにいそしんだのである。退官記念最終講義&懇親会の賛同者のメールも手元に寄せられて来たものから順にホームぺージに載せて、ホームページビルダーに一定の習熟をしたつもりでいた。
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最近、もう一度HPB(ホームページビルダー)で(JPドメインとは別の)プロバイダー側スペースを使ってHPを作ってみようかと思い立ち数日を過ごした。習得したつもりでいたHPBはVer.8くらいであったろうが、最近購入したのはVer,20となっていて、随分と操作方法が違ってますので、実は「ここに私のHPがありますよ」とURLをお伝えできる状況ではありません。まず足掛け3年あまりに投稿したFBの文章を掲載してみて、≪うまくいけば老人ボケが遅れるかもしれない≫などと考えての行動です。≪死ぬ間際には皆さんの目にURLが知らせられるよう努力してみよう≫という程度です。今しばらくは新バージョンのHPBと格闘することにします。乞ご期待!
荒っぽく「ZENKO'S HOMEPAGE」を作ってみました! 2016.1.22.
ほぼ1週間かかって基本的なホームページを作ってみました。
個人的に発信することがないので、2011年から始めたFacebookの記事を年度ごとに時間軸で並べてみただけです。ただ写真等については、私と犬及び静物画についての掲載でないと不都合を起こす場合もあろうと思い、いろいろ『考え中』です。これから時々Upします。たまには覗いてください。
URLは、 http://w01.fitcall.net/matzenko です。
写真整理へのさらなる努力の重要性を痛感!! 2016.1.24.
ホームページを作ったはいいが、掲載してもおそらくはお許しいただけるであろう範囲の選定は非常にむつかしい。また、その時期の写真がPCのどこにあるかを見つけるのも相当時間がかかる。
どちらかというと写真整理はある程度してきているつもりであったが、フォルダー内のどのフォルダーに入れかかを見つけるのに一苦労、どの写真を掲載するかで二苦労、写っている人で不都合はないかで三苦労、データの保管はHomeServer担当としてあるにもかかわらず移動させるのを忘れてServer内からは見つけられない、などさまざま起きるという状況である。
そんなわけで、HP上に写真がないものも、張り付けられるデータをそのうち探し出して掲載することにいたします。
卒業生の文楽通し狂言『仮名手本忠臣蔵』DVDの返却訪問にまつわって 2016.1.25.
昨年8月30日に『仮名手本忠臣蔵』DVDを借りたいといってきた藤井夫妻が、今年1月23日に返却に来た。以下の両写真に対しての「いいね」が実に多いのに戸惑っている。左の1枚は重しがてらに下にひいてある升目のカットシートに興味を持たれ、右の写真のHenryのヌードに大層関心が高い。実に不可思議と言わねばならない。
万歩計 2016.1.27.
1月21日の美濃吉会で「初老からの心がけ」の話が出た。この中で『一日8000歩を目指して歩くことが重要』と和田一夫先生からの助言があった。
私は毎日犬と4Km以上を歩いていることはわかっているが、それはいったい何歩なのかを知りたく思って過ごしてきた。そのことを昨日朝に急に思い出し、Amazonで万歩計を買っておいた。実はiPhoneに万歩計のアプリがあると聞いていたが、探すのが面倒だということと、そのアプリを歩き出す時点で起動させるだけの配慮が僕にできるか自信がなかったのである。
本日昼頃980円程度の機器が送られてきた。さっそく腰にぶら下げて午後2回散歩をしてみた。カウントされていた数字は6429歩である。これを2倍すると13000歩くらいだからおそらく初老からの心がけは果たせていそうである。「Henry君よ、ありがとう」というところだろう。
ついでにもう1つ。先日も書き添えた私のホームページ( http://w01.fitcall.net/matzenko )ですが、色が見にくいとの忠告と写真の添付が不足している言い訳をほとんど解消させたつもりです。
SPOTにて 2016.2.3.
東大路通り京都花月(元祇園会館)南側西入のSPOTという寿司屋に出かけた。
1976年立命館中学に赴任した時、担任になった中学1年生の岡野信次の店である。今日は岡野とともに私のクラスの生徒だった「天鷲慎一が今日参加する」と聞きつけどうしても会いたいと参上。実に34年ぶりの再開だと思う。
天鷲についてのかすかな記憶は、高校卒業後立命館大学2部に進み、郵便局に勤めていたことまでは覚えている。その先が皆目不明であった。
店の扉を開けると記憶の面影そのままの彼に出会えて3時間30分が過ぎた。そのほかのメンバーもいたのであるが、今日は少々事情があるというので中村と天鷲の写真にとどめる。有意義な時間だった。
忘れていたミニ同窓会 2016.2.5.
今日19時には夕食も済ませ、風呂も入って、NHKニュースを見ていた頃合いに一本の電話。今日の19時から京都駅で開いている同窓会に欠席するのかという。「忘れてました、これから参上いたします。20時には到着します」と答えて直行。時間どおりに京都駅の宴会場に行きました。
2日おきに同窓会ですので、すっかり失念し大きな迷惑をかけました。
”藪蛇”の巻 2016.2.14.
どこの町内にも地元の自治会がある。3年前に私が新築した集合住宅8戸の完成に合わせ、この8戸とくっつく形で私だけが以前のグループから追い出された。体のいい厄介払いである。最も私の家にはゴミ回収車が直接入ってきてくれるので、近隣のグループの回収場にはごみを出さないで長い時間を過ごしてきたせいでもある。
ただ面白いのは、自治会費用月400円が自治会会計係によって4月に年度分一括徴収されることになっている。ところが、入居者の方は入居期間がバラバラになっていくことがまま起こり、場合によってはしばらく空室であることもある。管理会社は入居が決まると月額徴収していくので、集合住宅所有者が立て替え払いをしておいたものを月毎回収していくというシステムをとる。そうすると空いた期間或は途中解約された部屋については日数割合の計算で減額徴収されて入金が行われるが、その後始末が会計係には伝わらない。
また、困ったことに本質的に集合住宅の利用者には長期入居が見込めるわけではないので、入居者に地域になじんでいこうという土壌が鼻からないのである。さらに、今年半ばに私のうちに22戸の集合住宅が新たに完成することになると、ますますややこしくなることは目に見えている。
4年目の私のグループの組長決めを迎えるにあたり入居者についになり手がないということで、たった2年の猶予で再び私が組長になった。諸矛盾を抱えたままの運営が私の近隣の集合住宅全部に当てはまることをも考えて会議で意見を述べたところ、お鉢が私に回ってきて来年度自治会長が当たってしまった。別にむつかしい仕事でもないのでどういうことはないのだが、世の中の歯車が以前と違ってきて、役員を断ることに汲々とした殺伐な自治会活動にそろそろ終止符が打たれてもいいように思うのだが、皆さんの近隣はいかがですか?
美濃吉会2016年2月25日 2016.2.25.
1936年なら決起部隊だが、2016年は近衛兵ならぬ退役兵の懇親部隊である。雪は降らなかった。
本日は中村和歳先生・和田一夫先生が体調不良で欠席され、初めて参加された武仲さんに申し訳ないことにはなってしまった。とはいえ、いつものようにワイワイガヤガヤの2時間半である。
先日私のいとこの七七日だったことを思うと、和田淳一先生も七七日を過ぎたことになる。時の経過は早いものだと思った。
HELP! フー・れん・ごん 2016.02.29.
先日木曜日の美濃吉会で田中保太郎さんが「知り合いのシーズー犬5頭をもらってくださる先をさがしているが、あなた1頭もらってくれない?」と相談された。もとより犬好きの私ゆえ少々心は動いたが、かといってHenry君がもう1頭と仲良くしてくれる保証はない。そこで「もらってやってもいいが・・・」と歯切れの悪い会話でそこを切り抜けた。
昨日私の友人宅を訪れた時、犬の話をすると「いただきたいが、息子と相談」とのこと。その後もう一軒訪問した時には、そこのおうちにも10歳のシーズー犬がいて「もらいたい」あるいは「もらおうかな・・・」との感触あり。
そこで私は、自分を含めて3軒あれば片付くかもしれないと判断して田中保太郎さんに「1頭もらえるかもしれない」と電話しておいた。...
そののち、最初の方が近日中に旅行に出かけることになっているのでやめておくと連絡があり、次の方も下の写真で心動かされてはいるものの、「予防注射やトリミング代を考えると・・・」と躊躇され、「(私が)もらってこられてから再度考えます」と言われる。
もう一軒、近所の方でつい最近までシーズー犬を飼っておられ、その犬がなくなり半年くらいたつお宅を訪ねたが、「年齢的にもう飼えない」とのこと。
そこで、3月2日に1頭でももらってきて僕が飼うことにしないと先方にも悪いと思いますが、誰か余っている3頭のうち1頭ずつもらってやってはくれませんかね。
二人息子の苦労をしのぶ 2016.03.08.
今日、田中保太郎さんのお宅に出向きシーズー犬の「れんちゃん」をもらい受けた。
今日は私の家では賃貸マンションの1階コンクリート打ちで職人さんも大勢おられた。彼らに「これから犬をもらい受けてきます」と言い残して出かけようとすると、にやにやと笑みをたたえる人、「待ってますよ」と声をかける人、冷たく見送る人、聞かないふりをしてる人と様々な表情が見られた一瞬だった。
3時過ぎに連れて帰りよく見ると、犬のカットがされてないようで「ズズ汚くにおいも少々これあり候」という体で、濡れタオルで体をふき文房具のはさみで我流の散髪を試みた。30分くらいかかって毛玉になりつつある部分をカットして、犬の目の前を明るくしてやった。...
堺あたりから右京区に来て、その後瀬田までの長旅のせいもあって疲れていそうだと思い食事を与えたがあまり口にしない。
ヘンリーとの顔合わせはうまくいったつもりであったが、それは裏庭でのひとときで、同時に部屋に入ってくつろぐような状況ではない。一方を庭に置いておかないとヘンリーの険悪なムードがムンムン漂う。
結局本日の犬の陣取りは、ヘンリーがいつも通り僕のベットで睡眠、れん君が裏庭でケージ内睡眠ということになった。そこまで持ってくるのに相当の苦労があり、私の夕食は普段より1時間遅れ、入浴は2時間遅れである。
世の男の子2人持ちの母親の苦労はいかばかりかと思わずにはいられない。彼らの状況写真は明日。本日は私もこれから爆睡に入ります。
"やきもち"は、遠火に焼けよ焼く人の、胸も焦がさず味わいも良し 2016.03.09.
Henry君のやきもちは癒えない。
本日、日もまだ明けやらぬ早朝5時45分、henry君の散歩に出かける前にケージの扉を開けてれん君を庭にはなった。まだ雨は降っていなかった。
40分後に帰宅すると、Henry君を表に括り付けてれん君の元に。餌は思いのほか食べていてくれて一安心であるが、僕を恐れてなかなか近寄ってきてはくれない。Henry君とれん君のえさ容器に肉缶を適量ほり込んでみたが、2頭とも牽制して食事をしてくれない。そのうち雨が降り出し、Henry君は食べだしたがれん君は雨の中で、出入りのガラス戸から20mの位置から動かないでこちらを見ている。れん君を捕まえようとするが、途中で首輪になっている綱が緩んで庭に転がった。取り上げるとずいぶん汚れているので洗濯にかかった。3度目の石鹸で汚れが落ちた。そうこうしているうち当のれん君が雨に負けて部屋に入ってきてくれたため捕まえることができ、雨に濡れて毛玉になっている各所の散髪に約1時間かかった。
10時になってHenry君はソファーで休息、れん君は室外の敷毛布で休息。やっとこの文書を打つことができた。そこで私は振り向きざま、思わずHenry君に落語でおぼえた表題の狂歌をこんこんと教えてやった。
卒業生女子に、遅すぎる「育メンの見つけ方」の伝授もどき 2016.03.11.
今日は6時過ぎまでHenry君が寝てくれたので私もその時刻に起きた。れん君の元に行くと、糞をしっぽの周りにくっつけた状態でいることに気付いた。昨日の散髪で肛門周りの散髪まで思いつかなかったのである。
一応2頭の散歩を済ませたところで、Henry君には餌を与えておいて、糞尿漂うれん君の始末にかかった。
風呂の水を抜いてれん君に42度のシャワーを浴びさせペットシャンプーで首から下を丁寧に洗い、特に肛門周辺はシャワー洗浄をした。この動作の最初から最後まで小刻みに震えていたが、気分はいいらしくおとなしい。
バスタオルにくるんで日光浴をさせつつ散髪に取り掛かった。写真を見ていただいてお分かりのように、少し小綺麗になっていると思いませんか。
餌を与えて食べるのを確認すると風呂場の掃除・バスタオル類の洗濯・散髪後の散り毛の始末と、今まで2時間以上を使っています。この間、傍らでHenry君がうたたね状態でちらちらにらんでいるのが印象的でした。
この一連の行動から、もし私(や市原先生)のような犬好きで面倒見の良い男性に卒業生女子が見初められたら、きっとその人を奥様である君は、昨今巷で育メンと呼ばれる男性に育て上げられるはずだと思うのですが、 (中央の写真の後方にHenryがいるのですが、わかりますかね)
れん君をトリミングに連れていけない理由 2016.03.14.
ほとんどのトリミング業者は、受付で犬の登録書と10種でしたかの予防接種済みの証書の提示を求めます。
れん君は確か8頭飼っておられた方が、家庭の都合で譲り先を探しておられるということでしたから、私がもらわれる先のお世話をするつもりでうちに来ました。先方さんから犬を譲り受けて犬が到着したはいいが、登録書も持っていませんでしたのでさっそく問い合わせは致しました。結果、登録は済ませておられるようだが、予防接種はうたれていなかったということが分かったんです。したがってHenry君のお世話を依頼しているアヤハのペットショップには行けないことになりますので、引き取り手が見つかるまでは小綺麗にさせておこうと私が散髪をしていたのです。
とは言いましても、ほかの犬と違ってシーズー犬は鼻筋が通っているわけではありませんので、鼻のすぐ上に目がある感じです。ほほのあたりにたまった毛玉がうまく取れず、かつそのあたりが匂うのです。...
れん君のもらわれ先が見つからない以上、私が飼うことになるとほぼ決定したような塩梅ですので、今日あたり動物病院に相談に行くつもりです。今日買ってやったウエアハーネスをしたれん君の写真を添えます。ぜひ飼いたい方、申し出は早々にお願いします。
「男やもめに"犬"がわく」2016.03.15.
昨日近所の動物病院に現状を説明し今日午前中診察を受けることになっていた。
健康診断(聴診・便・血液・耳鼻・・・)の結果、フィラリア感染もなく健康であり、28年度分の狂犬病予防接種もしていただけた。ただ、混合ワクチンは狂犬病の予防接種と1週間以上明けたほうがいいとのことで後日受診することになった。大津市の登録も無事完了して、やれやれであるが、1万円ほどかかった。
昭和の御代に「男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く」という言葉があった。平成の御代も30年近くたとうとする今日、我が家では「男やもめに"犬"がわく」状況で、それなら昨今は「女やもめにどんな花が咲く」のだろうか?
<男やもめに"犬"がわき、女やもめに“猫”が寄る>に決定!!
ツーショット 2016.03.?
日が陰り始めた3月18日午前11時30分、餌の追加をせがむ2匹の犬のツーショット。れんはやっと吠えるようになりました。
モテモテの日々 2016.03.20.
れん君のご発声が日に日に多くなってくる。その声に答えてれん君の相手をすると途端にHenry君が甘え声で僕を呼ぶ。その逆も真なり。
2匹を同じエリアに入れて2頭とも私から見える位置に置くと、れん君のみが僕を呼ぶ。どうもれん君の方が甘えたいようだ。
このようなモテモテの日々がいつまで続くのであろうか。
れん君のあごの下の毛を刈り込んだので食べやすくなったのはいいが、首があたかも七面鳥。「猫と違う」と割り切って、ひげもさっぱり切りました。散髪屋にさっぱり行ったことのない僕が、シーズー犬を見るとそのカットにご執心です。
和田一夫先生から、「物理的な距離を徐々に近づけて慣れさせてはどうだろうか」という忠告をいただいた。早速試みてみたところ、以前よりも”心底お前が気に入らん!”という態度ではない。
夕方から夜に差し掛かると、意気揚々と家に入ってくるHenryの顔つきには時代劇の殿様と百姓の関係に似ていて面白い。
空気のような関係へ 2016.03.23.
シーズー犬と柴犬 2016.03.24.
我が家では、シーズー犬が昼間部屋の中にいる。夕方から夜になると柴犬が部屋の中にいる。
昼間のシーズー犬は何しろ主人に纏わりつこうとする。そこで5m以上の綱で出入口につないでみると、私が移動するたびにそれを引きずって足元から2m以内をただただうろうろとしている。机の前に座ると、傍のソファーにくるまっていびきをかいて寝る。その間柴犬は外の芝生で日向ぼっこを決め込んで、ずっと寝ている。
夜になると逆で、柴犬が注意を引こうとボールや靴や新聞広告を咥えて「かまってくれ」とばかり私の周り5mくらいをうろつく。その間シーズー犬は外の毛布や草の中で丸まって寝ている。...
食事時はシーズーの方ががさつくし食事も早い。おやつはささみジャーキーで、柴対シーズーが2:1くらいになるよう与えている。
糞はシーズーは朝1度、この犬がと思えるほどの量を出す。柴は散歩の回数と糞の回数がほぼ同じになるようで、両者の総量は同じくらいであろうか。当面この特徴を生かして飼っていくしかないのである。
このように今後も愛犬No.1(Henry)と愛犬No.2(れん)は棲み分けしながら生きていくのであろうと思われる。
美濃吉会の報告 2016.03.26.
2016.3.24の美濃吉会です。実は、中村先生は入院し外科手術を受けられ、和田先生は肺炎で入院寸前だったため先月欠席でした。幸い配膳に来られた方に写真を撮っていただけたため、今日は5名の集合写真です。
我が家の「伽羅先代萩」(御殿の場) 2016.03.30.
最近は少々卑しい性格のれんが、まずHenryの餌を見てそして食してから自分の餌を食べています。時折、にらめっこをしたり匂いを確認したり…
そこで、我が家の「伽羅先代萩」(御殿の場)では、<鶴喜代君>がHenry君で<千松>がれん君、恥ずかしながら私が<政岡>という役どころでしょうか。
てんやわんやの4月 2016.04.04
4月になってさっそく自治会長としての仕事に精出している。昨日地元自治会の4役会議をこなし、今日は「今月の組長会議の招集文書を組長になられた家庭に投函」と頑張ったが、私の地域は2丁目と決めていたことが災いし、3丁目の地域がどこにあるのかに気付くのが遅れて4分の1が手元に残った。
地域の風景が自分の子供時分と全く異なっている。私の家から奥は田んぼと畑ばかりだったと言っても過言ではなかった。低地になっていた田んぼは埋め立てられて宅地となり、100軒もなかったはずだったのだが、自治会も数個に分割されたうえで三百軒以上に成長している。十軒内外の組組織も34あり、約1,000名の人が住んでいるらしいことを知ってただただ驚くばかりだ。
私の家の敷地には自宅と借家30世帯が住んでいるのでわかりやすいが、近隣の数百軒は独立した1戸建てのため、まず入口を見つけるのに苦労する。それは開発に任せた道路設定のためで、隣の家にすぐにいきつけないことがままあるのである。歩いていると昔のあぜ道を思い出すこともあれば、今どこを歩いているのかわからないこともあった。本日の万歩計歩数は、35,000歩以上である。教員の時に雑多な仕事ばかりをしていたせいもあり、いくつかの作業を食い散らかしながら予定日時にはそこそこまとまった資料にする力だけはあるはずだと高をくくってやっていこうと思っている。
今日も”ヘンリー”と”れん”は、トムとジェリーのように”?なかよく喧嘩しながら?”生活してます!
今朝のことだった! 2016.04.01.
<動画を入れたかったがうまくいかなかった。>
Henryと背中合わせの寒さかな れん 2016.04.07.
今日は雨で2頭とも表に出るのをためらっている。鼾をかきながられん君の一句。芭蕉の盗作である。
お使いは自転車に乗って 2016 .04.09.
今日は5年越しで自転車の点検を行ってみた。
私が教員をやめて院生になったころ、南草津(正確には教え子の自宅のある)野路から自転車でBKCまで登っていた。ただし、毎日ではない。雨の日や気が向かない日は、車で行って嘘を並べ立てて校内に入っていた。
先日も書いたように、自治会の仕事が入ってきたため、組長宅34軒を回るのに再度自転車を使ってみることにしたからである。
整備も終わって3台の車を並べてみた。学校をやめてすがすがしい気分を出すために買った、赤の電動自転車が64歳にしては粋に見えませんか?
ちょうどよい距離 2016.04.16.
二三の会 2016.04.24.
名前の謂れは、「平成23年に還暦を迎えた近所に住んでる小学校・中学校同窓生の会」ということを、恥ずかしながら今日知った。
犬に教えられる仲間社会のいたずら 2016.04.30.
遊び道具の小型のボールが我が家に数個ある。Henry君は1つを咥えると、首縄があって届かない位置にそのボールを押しやり、私にとってくれとせがむ。
傍らにいるれん君は、Henry君の遊んでいないボールを片っ端からHenry君が届かない場所に順々に移動させ、すべてを自分の管理にしておいてHenry君が困っているのを見るのが好きだ。
よくよく考えると、このような関西弁の”わるさ”は子供時分からの記憶をたどると(就職してからの職場でもちょくちょく)Henry君とれん君に似た行動をとる人たちがいたように思いますが、これが動物の習性なのでしょうかね。じっくり見ていると楽しいですよ。
犬のおねだり 2016.04.30.
この間の雨の日に、散歩で汚れたためれん君のウエアハーネスを洗ってやった。この間首輪がないと困るので適当な綱でいわっておいて新しいウエアハーネスを買ってやることにしたのだ。
新しいものを広げていると、Henry君がその新しいウエアハーネスを咥えそうになる。ただ引きちぎろうとはしていないので、「ウエアハーネス」というものに興味があるようだ。Henry君のハーネスはビニール樹脂でできた帯状の綱で作られていて、ウエアハーネスのように肌に食い込まないタイプではない。
そこで私は悟った! Henry君は布でできたウエアハーネスをご所望なのだと、・・・
拙宅の俯瞰写真 2016.05.01.
今日は日曜日で工事が行われていない。朝の散歩帰りに足場を登って5階天井あたりから「俯瞰した我が家」の写真を撮ってみた。
1枚目の写真で、れん君が朝食を済ませてアスファルトの上を屯してるのがわかってもらえるであろうか。
俯瞰図をとっているのがメゾンMAT、3枚目の青屋根がレジデンスMAT、4枚目のれんが色がカーサMATである。
れん君のBefore After 2016.05.06.
れん君のトリミング&カットの前後をご覧いただきたい。変われば変わるものだとつくづく思った。この写真を参考にして以降似たようにセットしてあげようと決意しました。
ヘンリー君の愛情胴輪2 2016.05.04.
今日はれん君のトリミング日。れんを預けるとヘンリー君のウエアハーネス探し。
ヘンリー君のウエアハーネスは今後太ることもあろうかと思い、20㎏まで対応するものを買ったが、夏向きで少々暑い感じがしたが私好みの赤を買った。家に帰ってさっそく愛情胴輪2なる製品を着用。首回りと胴回りの調整に20分ほどかかった。
「ドン・れん・デ・オーツ」 2016.05.05.
我が家のれん君は、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」にあやかって、「ドン・れん・デ・オーツ」とでも名乗れよう。勇猛果敢にヘンリーに行きつ戻りつ挑んでいく。(動画はサーバーの容量をかなり使いますので削除しました。)
テントにまつわる秘話 2016.05.09.
2回ほどワンタッチテントを買ったことがある。芝生の上で日影を作って気持ちよく本を読んだり犬とじゃれたり、・・・という予定だった。
ところが、無精者ゆえ2回とも雨がテントのたわみにたまって、肝心の骨組みをぐしゃりと壊した段階で撤収するはめに終わっている。
今回3回目のテントを、四隅が金属で支えられている形状のものから、タープ型という、いわばフライシートを中央の2本・4隅を1本ずつ計6本の金属棒で支えるのものを購入。...
なぜそんなものを飽きもせず買うことにしかというと、連休中に一台のBMWがやってきたことに始まる。運転してきたのは45・6歳になる卒業生で、以前の彼らの同窓会で5月15日(日曜日)に私のうちでバーべキューパーティーをすると決めたらしい。そういわれるとそんな気もするので、天気によっては引き受けることにした。
天気予報は雨が降らないらしいと調べたうえで、少なくとも雨よけは炭火の上にテントがあったほうがよかろうと、改めて購入しようとしたのである。
今回はどんなふうになるかわかりませんので、この連中だけの同窓会を行い、その写真を卒業生に見ていただいたうえで、ご要望によって他の学年同窓会にも応じようかと考えてます。
乞期待!!
庭にできたテント空間 2016.05.13.
予定の5月15日には予定していたBBQが実施できなくなったらしい。
とはいっても、我が家にテントが届いたので試しに設置してみた。6人から8人なら十分な広さだろうと思う。
日々是多忙 2016.05.27.
最近非常に忙しい。忙しいとわかっていながら訪問客がやってきてその日の予定に入っていたことをわすれてしまい、「しゃーないな」と思うこと2度。
大津市の「社会福祉協議会総会」というものが21日10時から開かれることになっていた。わかっていたつもりで次の日の22日に予定されている「神領祭り」のための集約をしてからと作業に集中して忘れてしまった。
「神領祭り」は実にくだらない行事である。町内でやる高校生の「模擬店中心の文化祭」とでもいえようか。このような行事の進行手順には一般の方よりは慣れてるつもりだが、<役員という名がつくとえらい>と思っている方や<自分たちの企画が地域の活性化に役立っている>と勝手に思い込む人には返す言葉もない。反省会を開くというので、「行事の到達点」を踏まえて企画の変更や住民の生活実態をどうサポートしていくのかなどという前向きな反省会をするのかと問うと、単なる飲み会だという。つける薬もないので、欠席させていただきますと即答した。...
今日は「ごみ減量・資源再利用推進大会」というものが開かれることを午前10時ごろまで覚えていた。滋賀銀行の行員さんが訪ねてくれる約束をしていたことも電話をしてくれて思い出し、そうこうしているうち高校の同級生が訪ねてくれた。そんなことですっかり予定を忘れてしまった。
「犬も権力のあろう方に付く」「家は犬小屋」「DNAに刷り込まれた反省の姿勢」 2016.05.28.
れん君が家に居つくようになり早2か月。今やれんとヘンリーは兄弟のようになっている。
当初吼えなかったれんが吼え始め、ヘンリーのお許しを得て家の中で寝てもよくなってから1か月。
徐々に暖かくなるとヘンリーは床・れんは僕の枕のわきで上を向いて寝るようになった。時折2匹がけたたましい鼾をかく。わたしは「ここは山小屋かえ。早く寝たもの勝ちか」と苦笑せざるを得ない日もある。...
姉が週2回やってくる。姉が車でも自転車でもヘンリーはすぐに気づいて激しく吠え散らかす。ただ、僕が買出しに出るとヘンリーは姉を見てもほえないらしい。僕が帰ると再びけたたましく吠えだす所を見ると、「犬も権力のあろう方に付く」ということだろう。
2匹が部屋の中にいると、絶えずヘンリーの抜け毛が散乱するし、ボールを咥えて2匹が走り回る。これを「家は犬小屋」と姉が言う。
れんは時折小便を敷物の上でたまっているだけ出し切る。これを叱ると足をかがめて頭と尻尾を下げ、上目遣いで僕を見る。小型犬はこのようなDNAに刷り込まれた反省の態度の取り方を心得て今日まで種の保存を図ってきたのかもしれないと思う。
上を向いて寝る”れん” 2016.05.29.
少々恥ずかしい姿ですが、信じられない方にお見せします。
中は子か 右と左は 親烏 (黒い黒いが黒いなりけり) 2016.06.11.
これは上方落語「矢橋船」(だったと思うが)に出てくる船中の『色問答』の一節である。
これを彷彿とさせる光景を朝の散歩の電柱に発見し、思わず色問答を思い出したというわけである。ちょうどこの季節が烏の繁殖期だということにも気づかされた。
烏は我が家の中に入ってくることがある。犬のドッグフードを狙ってやってくるのであるが、”コツ!コツ!”という音に気付くとき、室内に1m程度侵入してきた烏が犬の食器を物色しているということがよくある。当然、犬が睡眠中のすきを狙っての出来事である。
この烏の食べるドッグフードに好みがあるということを多くの方がご存じではなかろう。
実はドッグフードには、エンジ・ベイジュ・黄土色があって、最初の二色は丸形で最後のものは骨の形状をしている。烏の好みは丸形である。食べたかどうかは、三色の混合具合でわかるのである。
色問答は、下の句が先に出され、後から上の句をつけるというものです。「黒い黒いが黒いなりけり」に対して上の句「中は子か 右と左は 親烏」となります。僕のお気に入りは、無理問答で「丸う四角で長し短し」に対して上の句「大小の 鍔に四つ目の 紋どころ」や「釣瓶縄 井桁に映る 月の影」というものです。
待ち遠しい「名入りの団扇」 2016.06.12.
今日は〝竹茂楼″(美濃吉本店)にお邪魔しました。30名くらいの参加者で父母の会H28年度春の総会です。
私はかれこれ30年以上前から総務担当で、謂わば卒業生のPTA役員の同窓会といえるこの組織の学校側委員を仰せつかってきて、さらに退職後も足が洗えず今日までずるずるべったり続けているのです。
参加者の中に久しぶりにお目にかかった「小丸屋」さんに、「近くだからぜひ」と誘われ扇子・扇等を見せていただきました。各流派の舞扇や京都らしい風情の絵柄を拝見しているうち、四条南座北側の北座(北座と南座が通りに向かい合って存在していたが、北座が焼失して南座だけが残され現在に至ると聞いている)に並べてある芸子衆の団扇に目が走った。...
以前から「この団扇はどうしたら手に入るのだろう」と興味津々だった私は、このお店で作っていただけるというので小躍りして頼んでしまいました。一週間くらいで届けていただけるらしいのでその時の写真を楽しみにしていてください。(実は私が一番楽しみなのですがね・・)
梅雨空の合間の美濃吉会 2016.06.23.
本来なら今日はこの美濃吉会に名入りの団扇を持っていく予定でいた。残念ながら本日までに到着しなかったのです。誠に残念と言わねばならない事態でした。
この話をしていると、和田一夫先生が芸娘衆の名入りの団扇を数本持っておられるとのこと。若い時に祇園祭で山車に入れていただくところでもらわれたといわれる。私は残念ながらそんな機会が全くなかった。さて、その和田一夫先生は2か月の間に2度肺炎を患われたとのことでした。
中村和歳先生は、座るときと立ち上がるとき少々時間がかかるようになられてました。...
竹葉先生は右目がほぼ見えないということです。
田中保太郎さんと私は今のところ問題はなさそうです。
小児は白き糸のごとし 2016.06.28.
標題は誠に「言い得て妙」である。我が家の小児は2匹の犬である。ともに2歳6か月を超えたところを迎えた。
今日は朝から野球で言うなら三回の表裏の散歩を済ませ、その後夕食を与えたところ、適度の満腹感もあってか2匹が3mの距離で思い思いの寝姿で熟睡している。
参議院選挙があろうが、イギリスがEUから脱退しようが2匹には何の関係もない。結構な暮らしぶりである。