S57卒業生同窓会 2015.1.3.

本日17:00から、京都ロイヤルホテル&スパにて標記同窓会が開かれました。彼らは51歳になるということです。今日の参加教員は、中村和先生・西脇先生・高杉先生・小村先生と私です。男子校の時代ですしもういいおっさん連中ですので、和気あいあいで同級生ばかりということもあり、実にたわいもない思い出話に大いに沸きました。
2年後に開く幹事を決め、校歌・応援歌を歌い2次会へという、皆さんのいつものスタイルと寸分違わぬ懇親会です。


現代版「相手変われど主変わらず」の巻 2015.1.8.

私の同窓会の知り合いと、同窓会と距離を置くようになっても深く付き合うことになった。私のような下世話な田舎風の家庭ではなく、非常に上品な京都人の家庭である。ただ当初から我が家と相当違っていたのは、大層電話好きの家庭だったことである。
いつとはなしにかかる時々の電話連絡がほぼ毎日になってきて、これもいつとはなしにここに奥さんも加わってくることになった。さらに、お孫さんが立命にかかわる中学校に進学される前後から、嫁がれている娘さんも加わることになってしまってはや1年がたとうとしている。
3名の方はそれぞれ違った内容で電話をかけてこられるのであるが、私にはそれがすべてつながってしまうのである。お父さんの電話に「それ、聞いてます」というと「ええ!」と言われ、お母さんの電話に「それ、聞いてます」というとはたまた「ええ!」と言われる。包み隠しのない家族の会話に遠慮なく対応できるのはいいとはいうものの、ちょっとばかり私の時間の無駄も感じられるため、「お宅の3者の電話を少し減らしてください」と申し入れると、それぞれが「電話を控...えるようにいっときます」とのこと。
新年に入ってもちょくちょくかかってくる電話に、「今年はどなたか一人は減らしてください」と言っているが、果たして「一年の計は元旦にあり」というのは名言か迷言か。

久方ぶりに自作PCを作ってみました! 2015.1.16.

最近コンピュータケースにA4用紙2500枚入り段ボールより小さいものが現われてきた。もっとも、マザーボードの小型化(17cm×17cm)やCPU(Intel i3/i5/i7)の性能Upが行われていることと相まって、誰もがPCを使うとはいうもののゲームや精巧な画像処理をしているわけではない状況が大きな箱型を必要としなくなった最大の理由だと思われる。
私もしばらくやってなかった自作PCを、”小さいマザーボード(Mini-ITX)”を使って、”小さいケース(SilverStone SUGO Mini-ITXケース)”に入れ込む事で挑戦することにした。いろいろ物色しているとCPUをi5以上にすると、CPUの消費電力が60Wをはるかに越えてくる。小さいケースでは冷却能力に不安があるし、第一私の入力する能力がCPUの能力に影響されるほど素早くはない。また、激しい動きをするゲームなどには全く関心がないので、i3-4360(54W)で充分だと判断。
SSD256GBのものを起動Diskとし、インストール作業にも必要なスリムDVDスーパーマルチドライブ、3TBのデータ用HDDを入れ込んでみた。内部のすべての配線を終え、最後の8GBメモリー(DDR3 PC3-12800 CL9 4GB×2)の明日の到着を待って、いざ電源ONというところである。動き出したらまた報告するかもしれませんが、ちなみに、ここまでにかけた費用は、OS(Windows8.1)を含め82,000円前後でしょうか。




自作PCについて 2015.1.17.

午後送られてきたメモリーを差し込んでインストールに取り掛かりました。配線の間違いはなかったようで、スムーズにインストールでき現在そのパソコンでこれを書いています。
写真のように、ミニコンポと同じくらいの幅と長さで、高さだけが異なるくらいでしょうか。22p(幅)×27.5p(奥行)×18p(高さ)です。

「孤独で元気過ぎる老人」による「反社会的消費者」クレーマー 2015.1.23.

2日ほど前の日経WEBか日経新聞かに標記のような記事がのせられていて「そうかもしれないな」とふと思った。
私が理解した記事の内容は、最近のクレーム電話で社員のストレスが相当たまりこんで、出社できなくなる社員あるいは早期に退職する社員の出現が社会問題化してきているというものである。
数十年前のクレーム電話は、製品が欠陥品であるとの苦情だったり、使用者がはなから間違っていたりするもの、場合によっては会社の姿勢についてのものであったりという中で、暴言・恫喝・恐喝というようなものに発展するケースがあったらしい。そのせいか、最近の問い合わせに『お客様の音声を録音させていただきます』等のアナウンスがあってオペレーターにつながれるケースが目立ち始めましたよね。...
ここで言われているものは、そのような処置では到底防げない種類のものが増えたというものです。
最近の「退職老人のクレーム屋」は、理路整然としていて上司気取りの口調で、製品の説明マニュアルや会社の姿勢についての問い合わせをし、そこに対する会社の改善点を報告文書で届けるよう指示したり、対応が遅れているとその進捗を問い合わせる例もあるというのです。
要は「一切怒鳴らない新種クレーマー」で、これが反社会的消費者の一角をなしつつあるというものだったと私は理解しました。
孤独さ解消・話し相手不足・前歴の成せる若者いじめなどとなるのでしょうが、私にそんな姿勢がみられるようになったら、皆様どうかその旨を私めに忠告していただくようひとえにお願いいたします。

(老いを自覚あるいは感じ始めた)3人の珍道中 2015.1.29.

先週末、元経営学部教授田中照純先生から電話があり、「立命館教職員組合と平和ミュージアムの見学に29日に同行しませんか」と誘いを受けた。あわせて、「土居靖範先生も会いたがっておられた」と言われたら同行せざるをえないことは明白である。
今日約束の29日で、11時過ぎに瀬田駅で田中先生を車に載せて修学館1Fに12時10分到着。お二人は自分の修学館在職中、自分の個人研究室の場所の現在の変容を見たいと2Fに進まれ、いくつかの部屋の自分の研究室の過日の移動状況やさまざまな先生の思い出話をしていただいた。
教職員組合室では、在職されている現役組合書記局メンバーと昔話や最近の状況を面白おかしく語り合うとともに、自分たちの世代の安否確認をされていた。私も話されている世代の先生方と行動を共にした経験が多少ありますので、内容に違和感は全くありません。...
1時をだいぶ過ぎてから、学食に行こうということになり、田中先生が妙に「うどん」にこだわられる。聞いているうち、「入れ歯をうちに忘れた」とのことで大笑いの一幕あり。存心館で食事中、私は急に「先生。こんにちわ」と言われ、そこに政策科学部教授服部利幸先生。
両先生に「服部君は立命館高校の卒業生ですよ。茨木キャンパスの移転にも頑張ってますよ」と彼との関係を話すと、「高校の先生はいいなぁ」としげしげ言われ、少々誇らしかった。

卒業生のありがたさ 2015.2.14.

大げさなようですが、我々の世代になると他界者がそろそろ年々出始める頃合いですが、あまたある職業の中でも中高教員というのはありがたいものと言わねばなりません。忘れられていてもおかしくない年齢になっていても同窓会へ老体になった教員へ声をかけてくれるのです。

今日の同窓会兼新年会の学年は、急に高校3年生に残ってくれと言われた学年で、その学年は中学時代から風評も芳しくなかったため「少し身構えて臨むか」と思いつつ担任団に入りました。確か2年続きの3年生担当だったような気がします。...
あたってみると生徒全体が純朴で積極性があり、嫌みがなくそんなに苦労もせずに楽しい1年を送ったと記憶してます。”馬には乗ってみい、人には添うてみい”というところでしょうか。
特に記憶に残っているのは、文化祭でクラスで気球を揚げるというものですから、宇治のユニチカに行って空気を通さない生地を無料で分けてもらい、直径何メートルの球にするにはどんな裁断にするかを考え、男子校なのに家からミシンを借りて持ってきてくれる生徒と土曜・日曜関係なしに裁縫をさせました。
空気が抜けないようなとじ方をどのような縫製でやるか、口金にバーナーの火が近づいても燃えにくいようにどう仕上げるか、そもそもバーナーをどこで調達するか等々・・・・それはそれは面白かったですよ。
バーナーは確か道路の補修をされている業者の方にプロパンガスのボンベごと借りてきて、「生徒に火を使わせるな」との強い生活指導部の指導があったため、私が中華料理の火のように出るバーナーを操って自転車のリングを口金にした吸気穴に熱風を必死に流しこんだことを憶えています。
おかげで文化祭中に数度北大路校舎中庭に気球を上げることができ成功はしたのですが、あの時に人間一人ひとりが自分のできる仕事を力量に合わせて集合されることで社会が出来上がっているんだと、教員をしている私が悟らせていただいたと考えています。

最近プロフィール写真 2015.3.13.

最近プロフィール写真が退職時の55歳のものになっていて、髪の色が違っていることが気になっていた。
倉庫を物色していた時、最後の方のクラスで生徒が作ってくれたクラスTシャツが出てきた。実は「還暦の時に着られるように」と、後輩の店で赤の生地のTシャツにプリントしてもらったものである。
結局着ることはなかったのであるが、その当時の生徒の名前が髪の部分にちりばめられていて、余白が白髪に見えるので暫らく採用することにしました。




クラスTシャツのイラスト・・反響の多さに驚いている私のつぶやき 2015.3.13.

どちらかといえば何のとりえもなく、これといった好印象を与える特徴をも持ち合わさず、いつもイラストでは決まりきった絵にされて早40年。
正直に言えば、口下手で傷つきやすい性格であると自認する私が、イラストだけでかくも騒いでいただけるとはどうしたことでしょうか。政治家等の風刺画の場合には、風貌の輪郭や表情に「なるほど」と思わされますが、凄みのある青いくるくる目玉の輪郭だけでどうして私になるのでしょうか?

戯れの買い物 2015.4.7.

先日LEXUS 250hをLEXUS CT200hに買い替えることになった。新車の納車はずっと先なのであるが、パンフレットのオプションにドライブレコーダーのことが書いてあったが、今回純正品を取りつける気はなかった。ところが昨日、ふと戯れに安いものを買って250hにつけてみて、その後新車に移すことにしようと思い立った。
Transcend DrivePro100という11500円程度の機種であるが、非常に簡単に設置できたので、しばらく走行してみて画像確認をパソコンでしてみて鮮明さに大層驚いた。16GBのmicroSDが付いていたのだが、そのSDにはほぼ3分ごとに1つのファイルとしてVideo Files形式のデータが蓄積保存されていたのだ。その再生画像はハイビジョンの非常に鮮明なもので、ロシアの隕石落下でみた映像ファイルよりも一年以上がたっている分きれいだ。
ドライブレコーダーで事故を起こした証拠を残すという意味もあろうが、自分の運転の客観的な確認をする、あるいは見慣れた地域の風景を確認するというなら実にいい機器だと思った

ナナ・さくら・モモ・ラブ・きらら・・・・ 2015.4.8.

私は生徒の名前を覚えることができない教員のうちでもその第一人者です。
今も卒業生のFaceBook友達がほかの方より多めとはいうものの、実はどの子とどの子が「同級生だ」とか「よく喧嘩した」とか「恋仲だった」とか、そんな記憶が非常に薄いのです。
表題の名前は現在思い出せたHenry君の道端友達で、私が過去の某所で知り合った人々ではありません。犬は友達になれそうかが第一印象と性格によって決まるようです。また、3頭以上集まってもみんなで遊ぶという、いわば井戸端会議行動ができないらしい。いつも1対1での対応になって、その時の他の犬の行動に無頓着なのです。 ...
躾教室優等生のHenryは、実にフレンドリーな犬なのですがプードル犬には常に吠えられます。柴犬・ビークル犬は特にお互い気にいるようで、姿が見えるとウキウキと歩みを早めじゃれあいます。そのじゃれあいに付き合っているうち、飼い主の方から教わったHenryの親友犬の名前を今日は列挙をしてみました。

やっとやっとの鶯の声 2015.4.15.

荒れる天気の中、つかの間の晴れ間に藪鶯の鳴き声が響く。思えば、1か月前から練習していた鳴き声がやっとものになったという感じである。
梅が咲いた頃合には鶯がいるのかどうかも分からず、遠くに鶯らしい高さの音で「ピィーピィー」と鳴いていたような気がする。そのうち「ケッキョ、ケッキョ」の練習が始まったが、梅はとうに散ってしまっていた。
「ホー キェキョ キェキョ」になった時分に桜の開花を迎え、散った今日この頃になってやっと一般に認知されている例の「鶯の声」が爽やかに耳に心地よい。穏やかですがすがしい日々が訪れそうな気配である。...
皆さん。お仕事がんばってね!

飼うなら散歩好きの犬にすべきか否か 2015.4.22.

我が家のHenry王子は散歩好き。今朝も5時に起こされた。
彼は私のベッドの傍らに近づき、大きくストレッチをするとあくびとも喚き声との知れず吐息を漏らす。散歩をねだるいつもの督促の声である。
窓を開けて外気温度を確かめて服装を考える私。出入口でまだかなという犬の様子が窺える10分間とでも言えよう。...
リードを右手に持ち左手にペット鞄を携えて鍵をかけて今日一回目の散歩スタート。
20分から30分くらいで家に戻ると裏庭に走り出てほかの犬の散歩風景に出くわさないか観察に出かける。いつものバーべキュー用に作った机の上で道を凝視。
6時になると再び外出をせがみ、20分ほど散歩に出かける。
犬と私の食事が済むと7時30分ころに三度目の外出をせがまれ、帰ったころから王子はついウトウト。
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こんなことが(必ずというわけではないが)10時・12時・15時・18時・21時・22時とえんえんと続いていく毎日である。ただ、犬といえども、つい前に辿ったコースをもう一度たどろうとはしないのはたいしたものだ。ただ後になるほど王子も疲れるようで、コースの1/3位を「だっこ」させられることがある。

この総時間数は2時間ほど、走行距離5Km以上を私は毎日つき合わされている。犬は私にとって健康維持(快眠・快食・快便)のために役立っているのかどうか、諸説分かれるところである。

OB月例会に和田淳一先生登場 2015.4.30.

本日(4/30)、美濃吉(四条河原町店)に和田淳一先生が登場されることになりましたので写真を掲載します。
<本日早朝4時30分からHenry君の散歩に付き合わされましたので、睡眠不足のため本日の記事はこれにて終了>

府から都への移行希望から 2015.5.2.

最近大阪府を大阪都に「する」・「しない」の住民投票がマスコミを賑わしている。賛成派・反対派の言い分はそれなりに理解できて、別にどちらになることを望んでいるわけでもない。
ただこのことは、場合によって大阪府がなくなり京都府だけが「府」として残ることがあり得るということだろう。
それでは、それに近い規模になるはずの「愛知」や「神奈川」・「広島」・「福岡」あたりがなぜに県から府への移行を言い出さないのか気になっている。皆さんはそんなモヤモヤ感じませんか?

平成4年3月卒業生同窓会にて2015.5.3.

立命館清和会総会の幹事学年は、「高等学校卒業後20年目に当たる学年」となっているため、今年41歳か42歳になった諸君が意識高揚を図るため本日「東華菜館」に集まった。
私はこの学年を担当していないが、私も立命館高等学校の卒業生であるため、幹事学年に敬意を表すためにもと参加させてもらった。
写真を撮ってくれていた卒業生がいますので、ここには私の撮ったスナップを数枚掲載させていただきます。



茨木キャンパス訪問記 2015.5.11.

昨日経営学部・政策科学部が移転した茨木キャンパスを訪問しました。
元学部長の田中照純先生のお声がけで、社会人入試同期卒業の片倉さんと私の3名が瀬田駅で待ち合わせ、私の車で50分程度で到着。
学内は非常に広大で、A棟とB棟の間の公園部分に市民に開放された遊戯施設が供えられていて、近隣の住民の方の憩いの場所になっていることがわかりました。...
生協はなく、いわゆるハイカラなレストランや喫茶施設があり、キャンパスプロムナード(桜の路)なる散歩道に移行とすると、経営学部の統計学の田中力先生偶然出会い、彼が参加している里山作りの見学をさせていただきました。
いろんな方のボランティア活動の生き生きとした行動が地域に根差した新たなキャンパスの到来を期待させる雰囲気でした。
A棟の肥塚先生の個人研究室にもお邪魔させていただきました。立命館高校の卒業生でもあり、氏が中学生の頃から少々顔見知りなものですから、昔日の思い出話や清話会の話、学部での動きなどいろいろと話しました。
まちライブラリーに立ち寄ると、表の展示に持ち帰り可能な入試問題がありましたので、私の生まれた年の入試問題「数学」をゲットしてきました。常用対数の問題と判別式を使う図形問題です。簡単ですので昔を思い出してチャレンジしてみてください。(逆転になってしまいましたので、各自のパソコンで直して下さい)
最後に立協のコンサート会場を覗いたのですが、色々な顔にもお目にかかりました。川口前総長はじめ学生担当の浅野さん、各自生き生きと活動されている様子が散見されました。一度皆さんものぞかれたらと思います。


Good-Bye HS250h, Welcome CT200h 2015.5.21.

今日5年間お世話になったLEXUS HS250hから、LEXUS CT200hに乗り換えました。
HS250hは2300tエンジンで14Km/L位でしたが、CT200hは1800tエンジンですので50Kmほど走ってみて21Km/L位でした。
自分でも不思議なんですが、退職して還暦を迎える頃合いから赤色が好みになり、車以外でも電気製品や家庭用品等は赤色にこだわってます。...
言っておきますが、赤い車で一番気が咎めるのは、私たちの世代が直面する「冠婚行事より葬祭行事が増えてきた」ことです。早めに会場に出向いて会場駐車場の奥の方におくようにと、いつも努力がいるのです。ちなみに2220というのは、電話番号末尾です。


本日の月例会 2015.5.28.

「美濃吉・四条河原町店」改装中のため、今月の月例会は「餅料理・きた村」の床を利用させていただきました。
参加者は中村和歳先生・和田一夫先生・竹葉先生・窪田博さん・田中保太郎さんと私です。
店主は、立命館高校の卒業生でありヨット部の元監督も一時期務めていただいたことがあります。
先日私の友人が、飲食業の卒業生店主をあまりにもよく知っているということを感慨深く「遊び人やな」といいました。皆さんもご存じのとおり、私は「遊び人」だったのではなく、総務に近い校務分掌についていることが多かったため、宴会場の場数を踏んでるだけなのです。




2度目の執筆のお願いが舞い込む 20105.6.1.

実は私は二十数年前から「上方芸能」の購読者なのです。購読者と言いましても、誌上の興味のあるところだけを時々目を通す程度の読者なので気が引けるのですが、数年前に執筆のお願いを頂戴したことがあるのです。
あのときは近隣の方に「膳所高校の同窓会に講演をお願いする先生を紹介してくれませんか」とのお話をいただき、「もしかして木津川計先生にお願いされたらいかがですか」と言いますと「一度ぜひお願いしてみてください」と言われますのでご連絡を差し上げました。上方芸能編集部に持ちかけると、木津川先生の自宅電話を教えていただけましたので、趣旨を申し上げ無事お引き受けいただくことができ、面目躍如というところでした。こんな縁で、一度上方芸能編集部の「年末望年会」にお礼かたがた出向いたこともあります。
それからほんの少し後、上方芸能編集部の方から一度目の執筆のお願いをいただきましたので、上方落語や文楽について『ちょっとばかり評論家ぶって』いい加減な事を書いたんですが、たまたま載せていただいてお礼状もいただき感激してました。...
このたびは「読者歴○年のわけ」というタイトルでの依頼なので、深く読んでもいないという自覚から、「断わろうか」とも思いつつ「どうしょうか」と悩んでたんです。今日上方芸能編集部から依頼確認電話をいただきましたので、書かざるをえなくなりました。私にまで頼まれるくらいですから、「”こんな読者もいるんですよ”という企画だ」と思ってがんばって何か書いてみることにします。

寄稿文投稿の顛末 2015.6.5.

実は昨日「上方芸能」から依頼されていた「読者歴24年のわけ」というコーナー用原稿を書き上げました。書き終わってからWordの字数を調べると1000字を超えています。依頼書を見ると「650字以内」と書かれているのをこの時点で知り、再度字数を削って削って637字にし、メール添付。
しばらくすると、添付のお礼とともにいくつかの指示が上方芸能編集部から来て、これを直して今日再びメール添付。
...
ここからが面白い。礼状の「ほんまかいな」と返したいほめ言葉に、顔から火の出る思いをしました。60数年生きてきて、大勢の前で怒られたりちやほやされて「顔から火の出る思い」は何度もしました。しかし、モニターにメールを映していて、私以外誰もいない場所で「顔から火の出る思い」は初めてでした。
ただ、投稿内容については、出版されてからにします。

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上方芸能「読者歴24年のわけ」に寄せて
芸能で表わされる人物像から学ぶことの大切さ
 広く文学・芸能で表現される「人間」は、現に生きている自分とは違った生き方や、普通に生きている人々の心に散見できる所作を私達に見せてくれる。荒唐無稽でないにしても、普通には起こるはずのない事件や行動が扱われているなら、単なるマスコミ報道や巷のゴシップ伝と違わないだろう。
 落語に出てくる喜六・清八・磯七・甚平・お滝・おとわ・お松等々という人物設定は、ある日・ある時・ある場所で見かけた人をふと呼び起こさせてくれる。歌舞伎・文楽で登場する"あろうはずもない義侠心"や"いるはずもない貞女"・"正義感や憐憫の心を持つ英雄"も、その時々の心の動きからすればそうなることもあろうと感じられると、妙に納得させられてしまう。
 ただ私の場合、大衆演劇や新喜劇にみられることがある、劇の最後に何かを観客に悟らせようとする匂いが好きではない。七五調の名台詞は別にして、任侠を扱った話での組織だけを守る威勢のいい話も好きではない。独りよがりの単なる毒舌では、後世に残るとも思えないからである。
 幸いいろんな場面で木津川先生の講演を拝聴する機会があり、講演の中でこの雑誌を知り早購読24年。長く購読していても上方芸能誌の記事を一部しか理解できない私ではありますが、生きていく上での幅というか、度量というものは落語や文楽・歌舞伎の登場人物から学んで今日まで過ごしてきた気がします。接し方や話し方・話題の展開法等、広い意味で上方芸を参考にして過ごしてきましたし、今後もきっとそうしていく気がします。
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6月の美濃吉会 2015.6.27.

我々退職者のささやかな月例会を2015.06.25に行いました。
今年度初めから体調が思わしくなかった柴田先生が元気に再登場!和田一夫先生は風邪気味、中村和先生は地元自治会、和田淳先生は展覧会準備ということで5名でした。




立命館中学高等学校創立110周年記念行事の我が行動 2015.6.27.

堅苦しい「記念式典」なるものが嫌いな私は、その時間帯に以前から長岡キャンパスを見学したいといっておられた元経営学部学部長 田中照純先生へのキャンパス案内をしてました。
以前市原先生に案内いただいた場所を思い出しつつ、校舎内をうろうろさせていただいただけです。
11時過ぎに学校が用意していただいた昼食を食べ、久しぶりに出会った退職者面々のスナップを撮っておきました。...
父母の会の皆様も行事に参加されておりましたので出店風景を掲載します。
中村和歳先生と日高先生の講演がありましたので参加しましたが、聴講の方々のスナップを載せておきます。ただ、勝手ながら日高先生の講演時には「もうええわ」と思い私は退席しました。


ビル解体業者の重機の数々2015.6.29.

4階建ての学生マンションの解体が始まって早1か月を過ぎた。
こんな狭い6m道路をほぼ直角に入る重機車両の運転にまず驚かされて作業の初日を迎えた。
横長の6室+エントランスという構造の建物の、まず各部屋ごとのクーラー・台所・バストイレ・電燈設備等の持ち出しが始まり、ルーム内装の取り壊しが行われるのに1週間。...
1階中央2室の外壁取り壊しとともに、超小型のブルトーザーを各階に投入して天井の解体がスタート。合わせて屋根の部材の取り除きと5階ほどの足場作りが同時進行。
ほぼ壁も落とされた中央4室の金属部分を、まるでアメリカザリガニの腕のようなはさみで2階から3階・4階・屋根と剪断力で切り刻んでいく。倒壊を防ぐため、いちばん外側の壁を壊さずに作業が続けられて残された両端の一方の1室を壊し、外側の残されていた長壁の解体に入り、最後の片方の1室とエントランスの解体が終わる。ここまでに1か月かかっている。
次に登場した重機は、まさに「怪獣」である。大きな嘴でザリガニが壊した鉄線入りのセメント塊をムシャムシャと食いちぎり鉄とセメントを分離させていく。食い散らかしたセメント塊の鉄材だけを鶏冠の部分の電磁石で吸い付けて一箇所に集めていく。なるほどと思わされることしきりである。
次に登場した重機は、支柱の床に残されたいわば切り株に相当する根っこを掘り起こす、前に書いた形状と異なるアメリカザリガニの腕をもつ重機である。挟み込んで衝撃を与えつつ基礎部分を斫っていく。いわば根こそぎ引き抜くという荒業で、30本ほどの基礎を完全に破壊した。
壊されるたびに現れる鉄材入りのセメント塊をうち砕く怪獣の作業と、仕分けられた廃材・屑鉄の運搬車両の往来は、今しばらく続くようだ。


WebRonzaの香山リカ氏の記事
<”百田発言”と「ヒューブリス(傲慢)症候群」>について 2015.7.3.

最近、(私を含め)老人が心しなければならぬエッセンスが標記の記事に散見された気がする。
自民党の文化芸術懇話会の百田氏の発言から発展させた指摘であるが、「最近私の知り合いにも見られる症候群が、実はそうなのではないか」と気付かされたので、皆さんも読まれるとどうかと思う。

もしかすると社会病理学ネタなのかな? 2015.7.8.

10年ほど前、コンビニに屯するクラブ帰りの学生が数人単位で自分たちだけがわかる奇声と罵声をあげて、大人たちが近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。最近、このような仲間がいるにはいるが彼らから奇声が嘘のように消えて、ただただみんなスマホに見入っていているように思える。
この集団は、仲間であるようであることが分かる距離にいながら、座るともうずくまるともとれる姿で頭を垂れ、ひたすらスマホを見入る不気味さである。私たち”おっさん”は、これを『自己主張の形式を勘違いしている”やや悪”の奇声』とは全く異なっているため、「こいつらは何のために集まって、ここにいる一体感の中がなぜ面白いと感じるのだろうか?」と全く不可思議な行動に見える。...この不気味な仲間感覚が、最近高校生から30代前半にわたって見られるようになってきたのではないかと感じている。
その根拠は実は我が家の工事現場の職人に見られるのである。
職人の世界ですから現場の担当親方の指示にはきわめて従順で、上下関係や職種の業務内容には実に律儀です。ところが、休憩時間に入るやいなや十代〜二十代後半までの職人が、この時間帯に食い入るようにスマホに熱中しだす。もちろん職種が違って手持ち無沙汰な他職の職人は、仕事が出てくるまでずーとスマホに見入っている。
私は彼らがスマホで何をしているのか知らないが、おそらくゲームだろうと思っている。が、何か彼らをそうさせるのかは社会病理学的課題ではないかと私には思えるのですが、皆さんはいかがお思いですか?

Windows 10 にしてみました!! 2015.7.31.

私の家では、DeskTopのWindows7が2台、Windows8.1が1台、HomeServerが1台、NoteのWindows8.1が1台あります。このうち、DeskTopのWindows8.1をWindows10に変えてみました。
SSDですので、変更には40分以下で導入できました。今Edgeというブラウザの調整に入ったところです。まだ以前の機能をどこで設定するのかがわかってませんが、何とかなるでしょう。

お誕生日カード 2015.7.31.

私は1951年8月13日生まれで今年64歳を迎えます。本日我が家に早々と「お誕生日カード」が届きました。
送ってくれたのは、「アニコム損保」で、飼い主のもとに送られたHenry君の動物保険の会社です。面白そうなので文面でお伝えします。
以前のコーギーPeachちゃんの時と違い、クレジットの自動引き落としがきくところが面白いでしょう。動物保険も充実、言い方を変えるとぬけめのない方式に変わりました。...
Henry君の誕生日は、2013年8月22日です。もしかすると私と同じしし座です。飼い主ともども、今後ともよろしく。



Windows 7のDesktop機、Windows 10へ変更してみました 2015.8.1.

朝9時30分から、インストール(2時間)後の諸設定並びにすべてのHDDのBackUp、Nortonでの検査項目チェックで17時までかかった。引き継げなかったSoftはなかったようだ。
Windows 8.1の時点でHomeServer2011で接続されたすべてのPCのBackUpが無理になるだろうことはわかっていたため、各PCで自機のBackUpを取ることにした。ただ、HomeServer2011の中の共有データ項目はすべてHomeGroup内のPCでチェックできるので、いわばLAN−DISKと割り切ればいいと思ったのである。
昨日Edgeの使い方を書いていたが、開けた時の特定のHomePage設定ができず、IE11を使うことにした。いつものように、途中暑い中犬の散歩に出かけたが、いかんせん少々疲れた。

Windows 10は、HomeServer2011でBackUpがとれました! 2015.8.1.

実はWindows7や8で、IEでhttp://server/connect/ とするとHomeServer2011のコネクタがDownLoad出来てServer上にそれぞれのコンピュータを表示させることができます。
ところがWindows7の機器のBackUpをServerに作れるのに、Windows8ではBackUpが取れなかったのです。このことを知ってましたしHomeServerというSoftのVersionUpはされないとも聞いてました。
そこで私はWindows10ではServerにBackUpが取れないと思い込んでました。...
ところが今日Wondows10の機器でコネクターをアンインストールしておいて再インストールすると、HomeServerにBackUpが取れることを確認しました。そこで、昨日のようにHomeServer機をLAN-DISKで使用することにしか生かし方がないといったのがあやまりだったことになります。
今しばらくHomeServer2011は使えそうです。

すべてのWindows機のOSをWindows 10に変更しました 2015.8.3.

CPUがi3のもの、i5のもの、Core2のもの、i7のものと順々に変更してみました。
起動がSSDであってもi7のものはNoteでWiFi接続であったため、LAN接続のi3のDesktop機よりもてこずりました。しかし、変更後どの機器もいたって順調で、これという問題はありません。
ただ、2つ問題がでてます。1つは、ブラウザーMicrosoft Edgeの使い勝手が十分わかってないのでIE11をしばらく使うことにしたこと。2つ目はWindows7で使っていたメモリーカードリーダーでSDメモリーだけが読めなかったこと。(使ったリーダーが悪かったのかソフト的な未対応か不明)...
ちょっと面白かったのは、Nortonが導入後しばらくすると勝手にWindows10用にUpされ始めたこと。他のソフトはVersionUpの際に読み込まれていくのに、NortonだけOSの変化後にそれを行うようである。
Microsoftの肩を持つものではありませんが、新OSは使いやすいものになっているようですので、不安のある皆さんは不安が過剰にならないようにといいたいと思います。

<暑さ>と<忙しさ>ゆえの失念としておこう! 2015.8.6.

元経営学部教授 田中照純先生の「ペン画展」が7/28から8/2まで画廊≪ギャラリー 風の門≫で開かれていて伺うつもりだったが失念。
この間いろいろなことがあった。私の持ち物である共同住宅に通した新設道路の土地所有権移転申請。新規共同住宅建設にかかわる地元説明会の実施。借入金の繰り上げ返済と新規の融資案件処理。Windows10の機器導入。いつものような早朝と何度となく訴えられる犬の散歩。
昨日、第2回の「ペン画展」に合わせて作られた「ああ、我がエッセリー」という名の冊子を送っていただいて「失念の詫びをどう言い訳しようか」と現在考え中
... 
≪追伸≫  清和会の新聞広告協賛費を振り込んでおきました。役員の方々、頑張ってくださいね。




1000000(2)! 2015.8.13.

100万というと「何のこと?」とお思いでしょうが、私の歳を2進法にして考えると、めでたく2の6乗で標記すると1000000(2)となります。
私が中学校教員になった頃教科書にn進法が出てきて、位取りの決まりを考えさせるという内容でした。具体的な10進法の数字を2進法・3進法・・・の標記にする、あるいはその逆を考えさせるというものでした。
コンピュータの導入を意識してのことだったのでしょうが、8ピット・16ビットと進歩していくと表わせる記号の数が増えていきます。8ピットでは64種の記号が使えますので、数字やアルファベットと各種記号でほとんど使われてしまい、日本語Basicではキーボード上では漢字が日・時・分・秒・・・だけだったように記憶してます。...
n進法は中学から高校に移されても、そう長い間教えた記憶がありません。今から思うと、1ビットの信号をoff/onで0と1を表し8個単位で見ると8ビット、16個単位で見ると16ビット、32個単位で見ると32ビット、64個単位で見ると64ビットとなるのですが、そんなところまでは数学や情報で分担して教えていく中で消滅したのでしょうか?
64歳になってこんなことしか思い出さないとは、情けない限りです。

不釣り合いなプレゼント 2015.8.13.

「提灯に釣り鐘」、「猫に小判」、「雲泥の差」、「雲泥万里」、「烏と鷺」、「鯨と鰯」、「霄壌の差」、「駿河の富士と一里塚」、「月とすっぽん」、「天と地」、「灯心に釣鐘」、「鍋蓋とすっぽん」、「箸に虹梁」、「瓢箪に釣鐘」、「雪と墨 」
世にいろいろの形容あれど、まさにこの写真は私の今の思いにふさわしい。


忙しくもあり煩雑な(せわしない<滋賀弁>)一日 2015.8.14.

昨日は私の64歳の誕生日で、恥ずかしながら近年の例の如くFaceBookでのお祝いが相当あるであろうことは想像できていた。そこで64にまつわる話を適当に作り上げて体裁よくしようとしたのだが、そうなったかどうかはわからない。
ただ、レクサスからの花のプレゼントは(例年いただいているとは言うものの)少々計算外であった。
それにつけても、FaceBookを通じて毎日のように入れ代わり立ち代わり知人の誕生日の連絡はあれど、若い方には「ますますご活躍を」などと、とってつけたような儀礼文も書けず364日を過ごしてきた。...
要は「誕生日、おめでとうございます」などというフレーズは、「同世代か相当の年配の方たち」にだけにかけられるものなのだろうと割り切って、ここに日々の無礼の言い訳と昨日のお祝いの言葉のお礼を申し上げておきたい。

犬のいたずらと、新しい亀のゲット 2015.8.21.

20日の早朝(3時ころから)の激しい雨音に起こされた。Henry君は雨の日の散歩は躊躇するきらいがあり、寝室を出ようとはしないで6時30分くらいまでうっとうしく過ごしているしぐさがあった。
小雨になった頃合いに庭に出て、犬にしては珍しく長時間の小便タイムをとって小走りで部屋に戻ってきた。私も犬も朝食を済ませると、早朝からのうつらうつらで睡魔に襲われ、つい1時間くらい朝寝をしていた。
8時30分くらいに「ぼそぼそ」「がりがり」という小さい音に目覚めると、寝入った時に床に置いた眼鏡をかじっているHenryを発見。追いかけまわして取り上げると、つるは見事に破壊されていて用をなさない。2度目の災難である。
...
伊勢丹のアイメトリックスに修理を依頼するため出かけようとした矢先、車を出して10mばかり出た敷地内のアスファルト上に、なんと亀が歩いているではないか! 以前1年以上滞在していた亀かもしれないと思って手に取ると、甲羅の大きさも模様も形状も異なっている。(前よりも少し小さく、甲羅も高くせりあがっていて黒っぽい感じ)
出かける間際の出来事でほっておくこともできず、裏庭のコスモス畑になっている箇所にカメを置き、亀に気づいていたずらしそうな犬が近づかないようにと長めのリールをつけて出かけた。
その後家に戻ってからも亀は発見できていない。早朝の雨のせいでところどころ水溜まりもあり、どこかで生きているだろうと思っている。
何しろ「災難」と「幸いごとの到来」を予想させそうな妙な出来事の起こった日であった。

亀 再発見! 2015.8.21.

先代の亀の時を思い出し、裏の畑を凝視していて、風の動きとは異なる草の動きをする個所を探す。ついに15時間ぶりに無事亀を再発見。
地中に埋めてある足洗状の水槽に移し、犬の缶詰を大匙4杯投入。ぺろりと平らげ、浮かせたドッグフードもそこそこ挑戦して、腹が膨れたとみえ水槽から上がっていそいそとコスモス畑に侵入。
どうもカラスやハトのような鳥を怖がっている様子である。先代より人間を怖がらないようなのでひと安心した。

Henry君の2歳の誕生日と亀君の2回目の食事 2015.8.23.

8月22日はHenry君の2回目の誕生日! 私と同じ獅子座男性である。
8月21日に誕生日を誤解されていた知人が、犬用のプリンとクッキーを持ってきてくださった。さっそく与えようとされたが、私同様引っ込み思案の性格でその方からは食べなかった。
昨日は土手の草刈りをして、本日早朝からは亀探しのためもあり庭の草刈りをした。20分程度で亀のすくんでいる箇所に到達し、水に入れて犬の肉缶詰を水中に投入。今日も勢いよく大匙4杯を平らげたが、また排泄物を出さない。よほど腹ペコだったことが想像できる。...
今日気づいたのであるが、亀の習性で庭をうろうろするのだが、うろつき方や潜み方に個性があるように思った。先の亀は端によりすぎてよく側溝に落ちたが、こたびは30p離してうろつくようだ。餌をなかなか食べてくれない先代と違い、人目をはばからずむしゃぶりつくのも違っている。爬虫類でも個性があると確信した。

亀の食事風景 2015.8.29.

2日に一度のペースで餌やりをしてきましたが、ここ2日ほど毎日になってきています。与えている私にも少々ゆとりが出てきましたので写真撮影をしてみました。餌はHenry君の野菜入りビーフ缶2cm厚です。




S57卒ミニ同窓会出席 2015.8.30

午前中の卒業生訪問に続いて、S57卒ミニ同窓会に出席してきた。立命館中学の教員1年目の中学1年生の生徒で、50才になったという。時間のたつのは早いものである
公認会計士・インターネット関連企業の経営・飲み屋や飲食業経営・服飾関係会社経営・京都市職員等々と多岐にわたる。という私も、今や不動産賃貸業である。
中1の頃はこんなことがあった、高校での非行行為の告白噺、友人の消息ネタ、現在の状況と、話は尽きない。面白い時間であった。


杭打ち作業の様子 2015.9.7.

基礎工事の半ば(60本の杭打ちで35本目)の風景である。10mほどの穴をあけつつコンクリートミルクを流し、その穴にまさしく杭を落とし込んでゆく作業である。
1本の杭を1時間ほどで打ち込まれるのであるが、当然ながら押しのけた土の分だけ泥土ができる。これを時折20tくらいのダンプでどこかに持ち出されていく。
杭を運ぶ牽引車付大型トラック・残土処理のトラック・コンクリートの粉を運んでくるタンクローリー・軽油のタンクローリーと毎日何かとざわめいている。



60本目の最後の杭打ちビデオ

13mの深さの穴にセメントミルクを満たして、そこに杭を落とし込んでいくビデオです。見られたことはないでしょうから掲載します。
<残念ながら掲載にはメモリー不足です。>

無題 2015.9.20.

最近の気がかりな報道でなんですが、京都大学名誉教授の研究グループの発表「炭酸ガスと水で効率的に石油を合成」というのがありましたね。
この記事が9/18に出されて、私は「ほんまかいな」と思わず苦笑しました。石油を燃やせば水と二酸化炭素になるでしょうが、その逆反応が簡単に起こるのであればすでにどこかの国で誰かがやっていそうなものですから可笑しかったのです。
テレビの報道で聞いたのですが、上記の記事にも途中にどんな条件や触媒を使うのかも出てきません。私は「常温核融合と似た話かな」ととっさに思ったまでです。
記事によると、相当活躍されている先生のようですので、よもや嘘だったということはないでしょうが、その後詳しい情報は載せられているのかと気になってます。

僕にも「敬老の日」の連絡がきた! 2015.9.22.

敬老の日の翌日の本日、「敬老の日、おめでとうございます」という封書がきた。
送り主は、「アクティバ琵琶」という有料老人ホームである。敬老はさておき、封書が来る理由がないわけではない。以前ここにも書いたことではあるが、一度覗いてみようと思い立ったが一人では行きにくく、経営学部を退職された田中照純先生も関心があるとおっしゃっていたことを思い出して2人で見学をさせてもらったことがあった。
お互い、自分のことですよと悟られまいと、相方つまりは僕については「自分のことではなく田中先生が・・」という体裁で、あるいはその逆の体裁で偵察に行ったのである。面白かった。それ以降、半年に一度程度空き部屋情報が届くようになり、今回の「おめでとうございます」に繋がるのである。...
犬もいるので、Henryの他界後には真剣に考えようかと思っている。

28年の時を超えて 2015.10.2.

1988年3月の卒業生の同窓会です。
東京から駆け付けたものもおり、たまたま話に出てくる参加できなかったものへの電話攻撃の暴挙など、いわば何でもありの同窓会です。



一億総活躍社会とは・・ 2015.10.8.

1.少子高齢化社会に歯止めをかけ、人口減少を食い止め人口1億人を50年後も維持する
2.若者・高齢者・障害者など誰もが活躍できる社会を作る
というものらしい。少子化に何の貢献もせずのんべんだらりと日々を過ごし今日に至ったというのが本当で、今までもこれからも活躍しようなどという意欲もあまり持ち合わせていないアウトローの私は、到来する時代の変化に耐えられるのであろうかとふと思った。

オール立命館校友大会 2015 in OIC 2015.10.11.

本日表記の交友大会が開かれました。私は理工学部数学物理学科の卒業生であり、その後の経営学部院生の時に数物会の役員をしていたのです。
中学高等学校教員の時には、教職員組合の書記次長を一年だけですがやってました。今も校友課の財務委員を仰せつかって時折開かれる委員会に出席してます。私の場合”物怖じ”することがあまりないものですから、顔見知りの数学科の先生や経営学部・経済学部の退職された先生と旧交を温められました。どの先生も30年以上の付き合いで、以前の出来事を面白おかしく話すこともでき楽しめました。距離を置かずに話してくださる諸先生方に感謝感謝というところです。
知っているすべての教職員・卒業生の方の写真は取れてませんが、談笑風景を少し載せさせていただきます。



路上で飴! 2015.10.13.

昨日のHenry君の4度目の散歩。ちょうど15時前後だったろうか。
時折見かける白黒交じりの小型犬を連れた老人と、広場から近所の団地へ抜ける2m幅の抜け道のところで出くわした。私は抜け道に入る寸前のため10秒程度この老人と犬を待っていた。
「こんにちは、最近涼しくなってきましたね」と声をかけられますから、「朝夕寒いくらいの時がありますよ」と合わせた。2匹の犬が顔を合わせたり双方のお尻の匂いを嗅ぎ終わるころ、この老人が私にすり寄ってきそうなしぐさを取り始めた。私は我々以外の近くの人に対する注意でもされようとされているのかなと思った。...
「今日は喉がいがらっぽくなるんで」といいつつ飴玉を3つポケットから取り出し、「私の家はもうそこです、あなたに差し上げます」・・・「ありがとうございます」と受け取ってはみたものの、『あの老人には僕がどう見えたのだろう』と吹き出しそうになった。
しかしながらである。彼から見ると私が、<犬だけが相棒の相当みすぼらしい風体をしていて、なんとなくほっておけない哀愁を醸し出す年齢の男>と映っていることは疑いないと確信した。

新造語「ふんしゅつりつ」の考案 2015.10.16.

大津言葉か滋賀弁か近畿方言か、「しゅつ」と「しつ」或は「しっ」の使い分けがいまいちつきにくいと思われます。例えば、「出版」という文字を辞書で引く時は「しゅっぱん」は認識しているのですが、発音は「しっぱん」と言っていそうな気がするのです。
犬の散歩をしていて思いついた、これにまつわる枇榔なる話を今日は書くことにします。
私の愛犬は日に数度の散歩をします。朝は6時台から始まって、8時・12時・15時・18時・20時のうちの4回から5回を歩かされます。この間の『ふんしゅつ率』は60%から80%。『ふんしゅつ率』とは「糞出率」と書きます。...
なにしろ回数が多いのです。私は愛犬に「2度で済ませるようにできないかな」と言い聞かせるのですが、言うことを聞いてはくれません。何とかいい治療法はないでしょうか?
ついでですが、・・・私の物忘れの回数である「紛失率」は今のところ5%もないと思います。これが10%以上になるようなら、これにもいい治療法を教えてくれるか、私の右腕になって探してくれる卒業生はいるのでしょうか?

「DOUSOUKAI」で私が個人的に思い出したり悟ったりすること 2015.11.1.

立命館中学高校の教員で過ごした31年間は、まさしく「年々歳々花相似 歳々年々人不同」であった。
大小問わず多くの同窓会に出席させてもらってはいるが、同窓会毎に生徒の顔を見て急に思い出す雑多な出来事が数々ある。
昨日の同窓会では年恰好が同じ位であればどの子とどの子が同級生だったかが実は定かでない。が、出くわした”顔”にまつわる面白い出来事や(大げさだが)私だけの秘め事が急に思い出される時がある。...
例えば、毎年マラソン大会でコースの近道する輩がいるものだが、鴨川を渡った拍子に瓶を踏んずけ血だらけになった子がいたことや、グランド練習でぶっ倒れた子を救急車に同乗して病院に送ったはいいが、帰り際になって財布をわすれてきたことを知り「どうして帰ろうか」と私のほうが真剣に悩んだこと、・・・
懇親会で生徒の頃の「悪の目つき」が消えているのを見ると、時間の果たす教育のほうが偉大なのではと思ったり、どの子もこの子も親にはなれるものなんだと思ったり、・・・・ 
要は、結局は私がそこに立ち会っていたことが今一番面白かったのではなかろうかと感じる。



柴田享三先生を偲ぶ会 2015.11.7.

本日、ホッケー部OB会主催で標記の催しが行われました。
私は直接クラブにかかわったことはありませんが、OB会会長に無理に参加させていただくようお願いし出席いたしました。
その時のパンフレット並びに若干の会場写真を掲載します。



LDプレーヤー 2015.11.9.

レーザーディスクプレーヤーを知っている方も少なくなってきていることだろう。CDディスクと同じようにレーザーを使うビデオで、水平解像度400本以上の非常に優秀な機器であった。
急にこんな話を書く気になったかというと、1か月前の出来事による。立命館大学理工学部数学科の名誉教授で現在93歳か94歳になられた三木良一先生が、年に数度私のうちに電話をされる。先日の相談は、『オール立命館校友大会2015 in OICにお前も出てくるだろうが、相談したいことがあるので是非会いたい』というものであった。実は今回は失礼させていただくつもりだったが、そう言われたからには仕方がないと出席することになった。
私の場合、顔を存じ上げている方で参加されるであろう方をある程度予想できることもあり、飛び入りで過ごすひとりぼっちでつまらぬ時間を送ることはない。現数物会役員の方や理工学部の諸先生方、経営学部・経済学部の諸先生方、現職・退職の事務職員の方も顔見知りおられるので、そんなには気苦労を感じないはずなのだ。...
当日の三木先生の話というのは、『自分の部屋のβとVHS・LDプレーヤーの接続がおかしいのか機器が故障してるのかがはっきりしないので見てほしい』というものであった。18日だったかに三木先生の自宅を訪問して改めて接続を整理し、VHS機器の入れ替えもおこなったが、標題のLDプレーヤーはご指摘通り故障していた。LDプレーヤーが製造が中止されているため、中古購入かを考えなければ入れ替えは相当むつかしい。かといって、お持ちのLDディスクをDVDにするには業者を探して費用もある程度覚悟しなければならない。
先生に会ってから相当時間がたってはいるが、中古品をネットでさがして購入を進めていいものかどうか現在考慮中となっている。皆様方のお手持ちのLDプレーヤーで無料で譲ってもらえるものはないでしょうか。

IXY DIGITAL を見つけて 2015.11.24.

12年ほど前だったか、河原町を歩いていてエンジのIXY DIGITAL(Lと言ったかL1だったか)が目に入って購入することにした。
デザインはいいがバッテリーが長持ちせず、ついついほったらかしになることが多かったのです。
一昨日何かの拍子にそれを見つけて、一緒にあった4つのバッテリーを順々に充電したところ、1つだけまだ使えるバッテリーがあることが分かりました。そこで我が家の庭にあるバーべキュウ台のつもりでいる机に寝そべるHenryを映してみたものです。すぐメモリーカードからデータを抜き出してみて、何人かの「いいね」を押されるのを見るとその気になって、掲載しちゃいます。


例年の姉の書道展 2015.12.5.


姉の書道展に行って、たまたま平成3年度卒業生三宅君のお母さんに会いました


私のアイデンティティー? 2015.12.15.

朝日新聞の「折々のことば」に、R.D.レインという人の言葉『自己のアイデンティティーとは、自分が何者であるかを、自己に語って聞かせる説話(ストーリー)である』と書いてあった。
(ありもしないが)自己のアイデンティティーなるものを、人生の軸であると言えるものだと思っていた私であるが、なるほど”今の私のアイデンティティーとは、人々の間でもまれ翻弄されて幾度となく揺るがされつつ組み立てた私だけの物語の一定の到達点だ”というのなら、誠にその通りと言わざるを得ない。
時々訪ねてくれる卒業生が、保険関係の人であったり金融関係・警察官・セールスマンそのほかの雑多な業態の方々としても、はたまた電話をしてくださる諸先輩・会おうといってくれる同窓のメンバー・子供のころからのお付き合いの方についてまで、物おじしないで過ごせている私は、”私だけのアイデンティティーの物語”を、その時点で繰り返し繰り返し楽しんでいるに過ぎないのかもしれない。

Henry君の去勢手術 2015.12.16.

手術を1月7日(金)にすることになった。11月の混合ワクチン接種の時に『3歳までに去勢手術を済ませておくべきだ』と強く言われていたのである。
今日予約に行ってみると、年内はいっぱい手術が入っているというので、新年早々ということに決まった。手渡された文書の中に飼い主の「手術承諾書」が入っているのには少々驚いた。
どなたもペットに対する愛情の持ち方が私同様と見えると一人でおかしくなってきた。

昨夜の到来物 2015.12.23.

昨夜四条川端「井筒八ッ橋本舗北座ビル4F」で立命館大学校友課財務委員会忘年会が開かれた。
2時間半ほどの後、2次会への参加を促されたが、「Henry君が首を長くして待っています」という理由付けで失礼することにした。
帰り際、会費に含まれているはずもないお土産に、サンタの乗っかった直径20cm のクリスマスケーキを頂戴した。(傍らに散髪屋のネオンサインのように2色がらせんに見えるように巻かれたろうそく5本付きである)...
さすがに私には不釣り合いで、姉の夫婦と食べるしかないと思ったところ、今朝甥の家に行くついでに立ち寄った姉に、甥家族への手土産にもっていってもらった。子供2人がいる4人家族にもらってもらう方が相応しい形だ。
そんなわけで今日明日僕のうちに来られても、ケーキはありませんのでご注意ください。

例顔見世興行 夜の部鑑賞 2015.12.24.

本日は表記鑑賞のため南座へ。同行の友人のたっての願いで、片岡愛之助の勧進帳(富樫)を見ようと出かけた。
演目を見て実は夜の部よりも昼の部がいいと思っていたが、もしかすると夜の部のほうが良かったのかもしれない。大体、襲名披露口上というやつは大した出来ではないと思いこんでいたためである。豈はからんやいい出来であった。坂田藤十郎は四代目鴈治郎の父親ということで、仁左衛門を座頭にしたような作りの口上で、取り巻きの若手を含め声の通りも体裁もことのほかいい出来だった。
四代目鴈治郎の土屋主税も先代のものよりも良かったし、勧進帳の海老蔵も早世の父親団十郎よりも成田屋らしい貫禄が出てきたと思う。おかげで気持ちよく帰宅の途につけた。

大きなことは言えないが、・・・2015.12.31.

教員をしている時、松本清張の「昭和史発掘」にはまったことがある。満州某重大事件や、桜会、一夕会、5・15事件、3月事件・10月事件、相沢事件、2・26事件等のことである。
ところが実は軍隊の階級についてはよくわかっていなかった。将官・佐官・尉官・下士官・兵の階級のことや、陸軍幼年学校・陸軍士官学校・陸軍大学校等々、陸軍・海軍の組織もそうである。
ただし、戦争映画は好きではないし、戦記物もできるだけ読まないようにしていた。理由は、ただ無性に辛く耐えられなってくるからである。なぜかについてはいつもうやむやにしてきた。...
最近昭和史について「昭和天皇実録」の解説本が出てきている。「昭和天皇実録の謎を解く」「昭和史裁判」もそのうちのものだと考えられる。その中で「失敗の本質」を手にしてがぜん昭和史に興味を持ち始めてきている。
この間「永田鉄山ー昭和陸軍 運命の男ー」を読んで少々感動し、現在「昭和陸軍全史1・2・3」を読んでいる最中、本日の大晦日を迎えた。
昨日、「戦後70周年企画 あの戦争を知るために今こそ読むべき本はこれだ!」から教えられた推薦本3冊を買った。(ただ絶版のようなのですべて古書店から入手)
そこでこの正月の間、保坂正康著「昭和陸軍の研究 上・下」(朝日新聞社)、「50年目の日本陸軍入門」(文春文庫)、「海軍と日本」(岩波新書)を読んでみることにする。
ただ、ここに記すのは、無精者ゆえ「つんどく」を「完読」にするための決意であって、読書感想文を書くことを決意しているのではありませんので、以後突っ込まないようにしてください。


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2015年のFaceBook投稿記事

この投稿は2015年から始まっていますので、
年度ごとでそれを掲載します。
ただ、写真については、私個人のものについてのみ
行い、ご迷惑のかからないよういたしました。